Behind the story 20200tokyo-18-4<濃姫の代役に川口春奈>
<第十八章:その四> 令和天皇・皇后の儀式もようやく終わったが、永田町界隈では「桜を見る会」騒動で政治のレームダック化がどんどん加速している。内閣府が主導して開催したイベントは地政学的にも権力側が有利に政を行える利点をものの見事に悪用した一件で、日本国全体の不安要素を助長する深刻な道徳観の崩壊を意味している。森友・加計学園問題からはじまり、PKO日誌の隠蔽工作や議員の不祥事が後を絶たないのはどうしてなのか。どうやら官邸の私物化は安倍政権にとってはなくてはならないツールと化している。官邸の堂々としたアンフェア主義が正しい日本の道徳を破壊しているのは明らかだ。日本はもはや法治国家の域を大きくはみ出している。総理の在日数も11月20日で憲政史上最長となったが、この7年にも及んだ安倍政権は今後別の政権となったとき、国民の記憶や歴史からかき消される可能性はなくもない。政府や官僚が公文書を堂々と破棄するくらいだから、担当政権の行いもすべて破棄されたとしても誰も文句は言えないことになる。そのくらい、公文書というのは神聖なものであり、公僕の書類は厳重に取り扱うべきものなのだ。次世代の政権ではもっと過激な保守の政を行い、ヒトラーのような独裁政権が誕生したとき、官邸主導の私的な扱いがもっと悪用されるに違いない。日本の国民は半数が投票を棄権する。その結果圧政で虐げられることがあっても、もはやあきらめるしかないだろう。はたして解決方法はあるのだろうか。それは自業自得ともいえる投票棄権を見直し積極的な国政への関心を抱く以外にないようにも思える。自分はもう生きてはいないが、今世紀中に日本が共和国制になるのもそう遠くはなさそうだ。日本という国が存在していればの話だが、今のままだと消滅の懸念は消えない。人間というのは一度権力のトップに居座るとその居心地の良さから離れられず、政の全体像を捉えられなくなり、誤った判断と偏向的な理念を自分に植え付け、さらなる権力のうま味を追い続ける習性をもつ動物といえる。そこに有権者の関心が薄れてくれば、権力側はますます偏向的な政に走るという道を歩むに違いない。日本でのまともな二大政党政治の到来はこの目では見れないかもしれないが。 米国ツアーを制覇した渋野選手の笑顔がすっかり消えているように見える。訓練された笑顔づくりは結構疲れるのかもしれない。無理をしてまで...